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富士の巻き狩りと曽我兄弟の仇討ちの史跡を訪ねる

建久3年(1192年)源氏の棟梁源頼朝は鎌倉に幕府を開き、その翌年富士の裾野で
武将、勢子など10万人の人を集め狩りを挙行しました。富士の巻き狩りといわれる ものです。
これには @軍事訓練 A朝廷に対する武力の誇示 B武家たちの慰安 と3つの目的があったとされています。
この巻き狩りの最終日の夜半、有名な曽我兄弟の仇討ちがありました。そんな史跡を訪ねてみませんか。


浅間大社流鏑馬像

建久4年(1193年)源頼朝が富士の裾野で
巻き狩りをした際富士山本宮浅間大社に参拝し、
流鏑馬の儀式を奉納したといわれています。
それ以来浅間大社では毎年5月5日に流鏑馬を
行っております。

頼朝が巻き狩りの本陣とした井出家と、頼朝の馬を繋ぎ、此処で下馬したという下馬桜。
別名「駒止めの桜」ともいいます。
あわれその 駒のみならず見る人の 心をつなぐ
山桜かな
・・・徳川慶喜 詠
日本の五大桜のひとつで唯一国の特別天然記念物に指定されております。

見頃は例年4月中旬頃です。
 

井出家と下馬桜

白糸の滝

この上に いかなる姫か おわすらん
おだまき流す 白糸の滝

頼朝はこんなロマンチックな歌を詠んでおります。
アーチ状に広がりを見せる水のカーテンは、高さ
20m、幅150mもあり、やわらかな絹のように
見え、白糸の名に相応しい女性的な美しさを見せています。
これは富士山の雪解け水が十数年を経て、伏流し流れ落ちるものです。

滝の落ち口にある湧水池です。
頼朝が澄んだ池の面を鏡の代わりにして鬢の
ほつれをなおした。といわれています。
白糸の滝を下から見上げて、
この上にいかなる姫かおわすらん
・・・と詠んだ頼朝が、心ときめかせて鬢のほつれを
なおした姿が想像できます。
ここは富士講の霊場の一つでもあります。

おびん水
 

 

音止めの滝

白糸の滝と隣り合わせて在ります。白糸の滝が
女性的なら音止めの滝は男性的です。
芝川の流れがおよそ25mの落差で落ちています。
その昔曽我兄弟が仇討の密議をしている時、滝の音が大きく密議の妨げになるのを嘆くと、音がぴたりと止まり、密議が済むと再び元の音をたてたといわれています。

音止めの滝のほど近いところに在り、曽我兄弟はこの岩陰に身を潜め、父の仇工藤祐経を討つ密議を凝らし機会を狙っていました。
仇討ちは巻き狩りの最後の晩、篠突く雨の中で行われたといわれています。

曽我兄弟の隠れ岩
 

 

工藤祐経の墓

この墓の辺りに工藤祐経の陣所があったといわれています。
兄弟が潜んでいた隠れ岩の150mほど東の
小高い場所にあります。
旧暦5月28日、巻き狩りの最終日の夜半
兄弟は篠突く雨をついて工藤祐経の陣幕に討ち入ったのです。

曽我八幡宮の道路を隔てた東側の小高い丘の上に在ります。曽我兄弟の墓は兄弟が育った曽我の荘(小田原市)や近くでは富士市にもあります。
どこが本物か分かりませんが、数か所あるのは
御霊信仰の表われだといわれています。

曽我兄弟の墓

曽我八幡宮

頼朝が兄弟の孝心に感じ、畠山重忠を遣わし渡辺主水に命じ祀らせました。
主祭神は応神天皇ですが、相殿として曽我兄弟が祀られています。
祭壇には応神天皇と兄弟の木像が安置されており、江戸時代歌舞伎公演に際し、兄弟の木像および兄弟ゆかりの品が出開帳され、 そのお供えが神社の運営費に充てられたといわれています。

※ガイドはグループ又は団体様のみを対象とさせていただきます。

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